ほかにどんな仮

静かな自分

2016年03月22日 11:58


「やはりあれは広川だ」
「とんでもない。やつは死んでいるよ」
「じゃあ、いまのはだれなんだ。定が立てられる」
「たとえばだな、彼は生存中に、みなを驚かそうと計画を立てていた。それがこう
なってあらわれたとか……」
 苦しい理屈だった。すぐ反論される。
「しかしねえ、やつには他人をびっくりさせるなんて高級な趣味はなかったよ。そ
れに生存中になんて言ったって、死を予期してなんかいなかったはずだ。まさかあ
んなことになるとはね。かりに予期していたとしたら、注意して死にはしなかった
さ」
 べつな者が思いついて、こわごわ言う。
「警察がさぐりを入れているのじゃないかな。それとも、やつの死に不審の念を抱
いた知人が、私立探偵かなにかをやとって調べはじめたのかもしれない。不意をつ
いた巧妙な作戦だ。それにひっかかり、みなは昨夜、それぞれの手抜きをしゃべっ
てしまった。手にのせられた形だな」
 その説はみなの不安をかきたてた。そんなことで逮捕されたら、事務所の信用は
いっぺんでなくなってしまう。反論しなければいられない気分だった。
「しかしねえ、あの声はどうなんだ。それに彼の体験、性格、みなそっくりだった
ぜ」
「声は録音がどこかに残っていれば、そっくりに再生できないこともない。体験に
ついては、情報銀行の個人用口座に残っていただろうさ。そのデータと、他の人び
との口座の広川についてのデータを組み合わせ、分析を精密にやれば、性格も再現
できないことはDSE數學ない」
 その説明を聞き、ひとりはうなずく。
「なるほど、そうなると不可能とはいえないな。個人の生存とは、独自の体験情報
、独自の性格、独自の行動、それらの集合のことといえる。それが生存なら、広川
は生存しているということになるな。行動といっても、この場合は声だけだが、電
話での会話という限りにおいては、生存しているのと同じことだ」
 生と死の境がコンピューターでぼかされたことに感心している。他の者が言った

「おいおい、生と死の意味についての考察をやっている場合じゃないぜ。われわれ
にとっての問題は、どうすべきかだ。かりにいまの方法が可能としても、だれがや
ったのかだ。普通の者には、個人情報をそれだけ集めることはできない。警察や私
立探偵にもできないだろう。万能の鍵でも持っていなければむりだ……」
「ありえないはずだな……」
 みなはまた身ぶるいした。昨夜の電話をはじめて聞いた時より、さらにいやな感
じだった。亡霊なら消えるだろう。しかし、亡霊ではなさそうなのだ。目には見え
ないが、どこかに存在している相手なのだ。そいつは死者をよみがえらせ、みなの
弱点をつきとめたのだ。なんのために、だれがそんなことをはじめたのか……。
 また電話が鳴った。高声装置がさっきのままなので、会話がみなの耳に入る。広
川の声が言った。